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外岡秀俊 3.11後の世界

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<<   作成日時 : 2011/04/30 19:54   >>

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2011年4月30日(土)記

4月28日から30日にかけて、気仙沼市に入った。

仙台から気仙沼へのルートは二つある。
仙台県庁・市役所前のバス停から、気仙沼市総合体育館行きの急行バスに乗るルート。
もう一つは岩手県一関駅からJR大船渡線かバスで気仙沼に至るルートだ。

ただ、前者は夕方に仙台まで帰る便がないため、気仙沼で一泊する必要がある。
気仙沼の宿は被災者や、復旧事業のために働く関係者でほぼ満室が続いている。

そこで、28日はJRの豊北本線臨時列車で一関に行き、
後者の大船渡ルートで気仙沼に着いて徒歩で取材。

29日は宿がとれたので、バス行きを試みたが、連休が始まったため、長蛇の列が続いた。
そこで、バスで一関に行き、そこから大船渡ルートをとって一泊。翌日の帰りは、避難所になっている
市総合体育館、通称「ケー・ウエーブ」から急行バスで仙台に戻った。

被災地では、まだ交通網が寸断されている。東北新幹線はようやく29日に開通したが、
大船渡線は気仙沼どまり。気仙沼から大船渡に向かうJRも代替バスも出ておらず、すぐ近くの大船渡に
行くためには、一関からの別のバスに乗るしかない。公共交通機関は沿岸部の縦のルートが寸断されているため、
内陸部の東北自動車道を南北に移動し、そこから櫛の歯のように沿岸部に伸びる横断路をたどるしかない。
不便なこと、このうえない。被災地は、沿岸部の近隣自治体に自由に移動できるようになって、ようやく復旧の
スタートラインに立てるのだろうと思う。

宮古と同じく、気仙沼でもようやく駅前商店が店を開き、コンビニでも、一時のように棚ががら空きという状態では
なくなった。しかし、内湾の「海の道」に近づくと、あの日からその場に凍りついたように、ひしゃげた家屋や店舗が
立ち並び、息をのむしかなかった。

港ふれあい公園を過ぎてしばらく行くと、前方の岸壁に打ち上げられた大きな船が見えた。ご夫婦が立っておられたので、声をおかけした。

打ち上げられたのは、第十八明神丸。ご夫婦は、南三陸町歌津に住む漁師の佐藤善勝さんと愛子さんだった。

善勝さんのお歳を聞いて驚いた。68歳だという。寒風と夏の暑さに耐えて鍛えぬいた偉丈夫は、
とても60過ぎとは思えない。

善勝さんは、養殖タイやハマチのエサになる桜エビ、地元でイサダと呼ぶエビの漁が解禁になるため、給油など、その準備を終えて、後は乗組員4人と出漁を待つばかりだった。
南三陸の自宅で震災にあった善勝さんは、船を見るため車で気仙沼に向かった。5キロ手前で津波が迫ったので、車を降り、水が少し引いたころに徒歩で港に向かった。午後5時ころ、膝まである水をかき分けて岸壁に近づくと、
遠くの方から、ロープで係留していたはずの第十八明神丸が、陸に乗り上げているのが見えた。

息子の清和さん(38)は、養殖ワカメの作業船で海上にいたが、津波と知り、すぐに故知にならって沖合いに出て、
船も無事だった。

4月はじめ、「重油を何とかしてけろ」といわれ、ポンプで油を抜いた。出漁の準備していたので、重油を満タンにして、艫にも5キロの油を積んでいたという。どうにか油を抜いたが、船を海に戻すには、まず船底の傷みを検査して補修し、60トン級のクレーン2基を使って持ち上げるしかない。
第18明神丸は10年前に建造した。網の巻き上げ機だけで当時、300万円もかかった。2千万円の船舶保険に入っているので、補修はどうにかできるとして、船が戻るまで、収入の道はない。息子さんのワカメも壊滅し、孫も入れて一家8人の暮らしをどう支えるか。網を作る作業家屋の二階が津波にさらわれず残ったため、夫婦だけは最近、避難所からその南三陸町の二階部屋に戻った。しかし電気も水もない。前日、知り合いから「船に泥棒が入ったのではないか」と連絡があり、心配で見回りに来たところだという。

今年はイサダの後、6月の暖流に乗ってくるホンマグロの漁に出るつもりだった。漁場は宮城から福島、岩手まで広範囲だ。しかしこの先、福島沖では放射性物質の汚染が、風評被害となって拡大しつつある。船が海に戻っても、
冷凍施設など、気仙沼の関連施設は大きな打撃を受け、再開までには時間がかかりそうだ。
「いっそ、死んだほうがよかった、ってみんなで泣いたのよ」と愛子さんがいう。

津波になって押し寄せた「海の壁」は、多くの命と住宅を奪った。だが、「海の恵み」によって生きてきた人々にとって、やはり海とともに生きるしかない。そこに立ちはだかる新たな「壁」を乗り越えるには、被災地以外の人々が、政治の力で支えるしかない。






写真は上から
  1佐藤善勝さん
  2岸壁に乗り上げた第十八明神丸
  3内湾に沿って、がれきは今もそのままだ
  4全壊した家に、人形がぽつんと残っていた


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