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外岡秀俊 3.11後の世界

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<<   作成日時 : 2011/05/04 13:26   >>

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2011年5月4日(水)記

 つい先日新聞で、気になる文章を見た。
 ある人が、3.11以降のご自分の行動について書いた文章だ。

 そこには、「弱被災地(仙台)−微弱被災地(東京)−強被災地(東日本太平洋岸)を行き来している」、と書かれていた。

 首都圏でも浦安などに大きな被害が出ている。東京でも、帰宅難民や計画停電、原発事故の脅威などで動揺と混乱が広がった。しかし、東北の被災地にくらべ、「微弱」という表現はその通りだと思う。むしろ東京は「軽微」だったという自覚にたって、動揺するな、救援に本腰を入れよ、という自戒をこめた区分だろう。

 私が気になったのは、仙台を「弱被災地」と区分することだった。その違和感の理由について以下、5月2日に仙台で見た光景を記録にとどめておきたい。

 2日朝、地下鉄で広瀬通駅から北仙台駅に向かい、歩いて10分ほどの半沢サイクルショップで自転車を借りる。一日840円。そこから一路、南東に向かう。

目指したのは、震災直後に、「200〜300人の遺体が漂着した」と報じられた若林区だ。

 大ざっぱにいうと、仙台駅前から南東に向かうと、住宅地が途切れたところで陸上自衛隊霞目飛行場の広大な敷地があり、迂回したその先に、田んぼが広がっている。やがて、盛り土の上を南北に走る仙台東部道路が見えてくる。この日は強風が吹き、自転車は向かい風でペダルが重かった。

 名取川の河口近くまで行ったところで、風景が一変した。大津波の被災地ではいずれもそうだが、風景が変わったというより、日常の風景が大きくひび割れ、亀裂が走ってそのまま凍りついたといった方がいい。

 そこから北方に見える光景は、見渡す限りに連なる泥土と、ぽつりぽつり残る散乱した自動車、家屋の残滓だった。家が傾き、がれきが山となって残る被災地も悲惨だが、津波にさらわれ、ほとんど荒野となった光景は、悲惨を通り越して、感情の源泉をとめられてしまう。

 そこから荒浜に至る10キロ近くが、すべてそうなのだ。海岸にあった松林の多くは、根こそぎ凄まじい力で抜き取られ、田んぼまで押し流され、住家をなぎ倒した。

 仙台東部道路が食いとめるまで、海浜地区一帯が、すべて津波にさらわれた、といってよい。ようやく重機によるがれきや泥土の除去が始まったが、広大な荒野の中にあっては、ぽつりと点となって動いているようにしか見えない。それほど、被災の規模は大きい。

 田んぼの中を走る農道の脇に、写真が散らばっていた。だれかが逃げようとして、貴重品をかき集め、袋に入れてあったものらしい。ご位牌と、卒業証書か何か賞状を入れた紙の筒。それに、アルバムが数冊。この持ち主は、どこでこの思い出がいっぱい詰まった袋を手放し、今はどうしていらっしゃるのか。

 仙台市に戻り、仙台駅から高速バスで空港に向かった。3月18日に上空から見たときは、仙台空港周辺がまだ水につかり、流された自動車が積み上げられ、小型飛行機が敷地に散乱していた。

 これほど空港が早く復旧できたのは意外でもあり、喜ばしくもあった。だが、高速道の防音壁が途切れたところには、いまだにがれきや押し流された自動車が連なり、空港周辺には、へし曲げられた民家、道路脇に突っ込んだ小型飛行機が残されている。

 空港ターミナルは臨時に建物を改装し、各社が大阪、名古屋、札幌などと便で結んでいる。だが、暖房のある搭乗待合室に入るとトイレがないため、旅客はぎりぎりの時刻まで荷物検査を受けず、肌寒いターミナルで待機している。ふと見ると、中央の大時計の針はきっかり、4時をさしてとまっている。あの日の津波から、まだ時間が停止しているのだろう。

 仙台中心部では、大型スーパーが営業を再開し、国分町通の繁華街も、作業服姿の人々でにぎわっている。今回来たときには、ようやく冬囲いを解き、新芽が萌えるほどだった広瀬通、青葉通の街路樹も、日増しに若葉が勢いをつけ、ほとばしるような生命の力を感じさせる。

 だが、津波は他の震災と違って、中間地帯がない。自然の苛烈で容赦のない線引きによって、明と暗はくっきりとわかたれ、その光と闇はまじわることがない。やや暗くなった「明」が光を回復しつつあるにしても、「暗」はいまだに闇に置かれている。

 仙台中心部は「弱」だったとしても、やはり仙台全体は「強被災地」と見るべきではないだろうか。

 冒頭に記した「違和感」は、そうした個人的な観察にねざしている。




写真上から

1名取川河口から見た若林区
2荒浜地区
3内陸部から見た荒浜。遠くに海浜の松林が見える
4がれきは、遠く離れた田んぼにまで流された
5ご位牌とアルバム。田んぼには、思い出の品々を詰めた袋が残されていた



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