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外岡秀俊 3.11後の世界

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<<   作成日時 : 2011/07/20 15:13   >>

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 2011年7月20日(水)記

 福島県南相馬市で、詩人の若松丈太郎さんにお目にかかった。

 知り合いの鈴木昌一市議と、喫茶店で話をしている最中だった。震災後、ネット上で流れた詩篇「神隠しされた街」のことについてお話しすると、鈴木さんが「もしかすると、若松さんではないか」といった。奥様のことを、ご存知だという。電話帳で自宅番号を控え、携帯電話をかけに、外に出た鈴木さんが、すぐに戻ってきておっしゃった。「今から会いにいってもいいそうです。すぐに出ましょう」。

 まさか初対面の詩人に、こんなふうにお目にかかれるとは、予想もしなかった。

 お言葉に甘え、原町区にあるご自宅にお邪魔した。以前も書いたように、南相馬は大きく三分割された。

  福島第一原発から20キロ圏内の小高区    警戒区域
          20〜30キロ圏内の原町区    緊急時避難準備区域
              30キロ以遠の鹿島区   

 である。若松さんのご自宅は、福島第一原発から25キロ。いざという場合に備えて準備をする「緊急時避難準備区域」にあたっている。

 背筋をピンと伸ばし、低声だが明瞭な話し方をなさる若松さんは、とても76歳のお年には見えない。もともと岩手県奥州市のご出身だが、半世紀前には奥様のご実家のある原町市に居を定め、あちこちの高校で国語を教えながら、詩作を続けてこられた。

 1971年に河北新報に寄せた「風土記71 大熊」という随想から、原発への不信とおそれを綴ってこられたが、94年5月、事故があったチェルノブイリ原発を見て、その疑問は確信に変わった。詩集『いくつもの川があって』(2000年・花神社)におさめられた連詩「かなしみの土地」は、痛ましいその地からの報告であり、フクシマへの警告だった。

 連詩の一篇が、「神隠しされた街」である。
 
「四万五千の人びとが二時間の間に消えた
 サッカーゲームが終わって競技場から立ち去った
 のではない 
 人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ
 ラジオで避難警報があって
 「三日分の食料を準備してください」
 多くの人は三日たてば帰れると思って
 小さな手提げ袋をもって
 なかには仔猫だけをだいた老婆も
 入院加療中の病人も
 千百台のバスに乗って
 四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた」


 こうして始まる詩は、チェルノブイリ事故から40時間後、地図から消えたプリピャチ市をうたう。近隣三村を併せ、四万九千人が消えた。詩人は、この荒涼とした光景を、フクシマの地に重ね合わせる。

「四万九千人といえば
 私の住む原町市の人口にひとしい
 さらに
 原子力発電所中心半径三〇kmゾーンは危険地帯とされ
 十一日目の五月六日から三日のあいだに九万二千人が
 あわせて約十五万人
 人びとは一〇〇kmや一五〇km先の農村にちりぢりに消えた
 半径三〇kmゾーンといえば
 東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
 双葉町 大熊町 富岡町
 楢葉村 浪江町 広野町
 川内村 都路村 葛尾村
 小高町 いわき市北部
 そして私の住む原町市がふくまれる
 こちらもあわせて約十五万人
 私たちが消えるべき先はどこか
 私たちはどこに姿を消せばいいのか」

 詩はまだまだ続くが、全詩篇は、震災後に出版された「福島原発難民 南相馬市・一詩人の警告1971年〜2011年」(コールサック社刊)をお読みいただきたい。

 詩人のなかには、驚くべき直覚で、日常の果てに未来を幻視し、遠い先の風景を、ありありと先取りしてしまう人がいる。東日本大震災のあとで、若松さんの詩を読むと、おそるべき正確さで、フクシマの現実を見ていた詩人の洞察に感嘆してしまう。

 だが、若松さんに、預言が成就した人の満足感は、ひとかけらもない。あるのはただ、慨嘆である。

 なぜ、そのような直覚が宿ったのか。「専門家の傲岸にして、かつ根拠の不確かな科学技術への過信よりも、素人の直感的理解のほうが真実により近いところまで至りえたということだろうか」と、若松さんは書いている。

 ただその「直感的理解」は、東京電力が過去において事故のデータを何度も改ざんし、隠蔽した歴史に竪坑を掘り、その地層のゆがみを粘り強く測定した人だけが抱く懐疑に裏打ちされていた。ただの直感ではなく、原発事故が必然であると確信した地点に、その直覚はビジョンをひろげたのである。

 若松さんは、国民小学校四年で敗戦を迎えた。
 「十歳というのは、ばかにはできない子どもの時期です。夏休みが終わって学校へ行くと、今まで同じ教科書を使って教えていた教師が、ここからここまで、教科書に墨を塗れ、という。長いものは、切り取るようにいわれた。正しいと教えてきた同じ人が、教科書を否定する。一晩でころっと変わるような生き方は、したくないと思いました」

 そのころ、満州からシベリアに抑留された叔父の持ち物と思われる行李を、自宅で見つけた。中野重治、小熊秀雄、金子光晴らの著作だった。戦時にも、こんな詩を書いた人がいるんだ。金子の詩集「鮫」を手にして、詩を志すようになった。

 そのエピソードにも明らかなように、若松さんの構想力とは、一貫した思想と生き方を求める人の精神の持続力であり、たんなるひらめきや、思いつきではない。数十年も先フクシマを予見したのも、その警告が無となって落胆するのも、同じ強靭な精神の発露なのだ。

 若松さんはもう、原発事故の悲惨さをうたおうとは思っていない。たとえば、言葉は、はたして放射性物質に対し、有効なのか。「神隠しされた街」で、若松さんは、こう書いた。

「ストロンチウム九0  半減期  二七・七年
 セシウム一三七   半減期  三〇年
 プルトニウム二三九 半減期  二四四〇〇年」

 その気が遠くなるような歳月を、言葉は生き延びるだろうか。もう、放射能について語る言葉は、未来の人間には通用しない、記号となって四散しているのではないか。そうしたなかで、強靭に生き残る言葉、生き延びる詩とはどんなものか。

 詩人の直覚は、さらに先に向かっている。

 写真は、詩人、若松丈太郎さんと、
      「福島原発難民」








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