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外岡秀俊 3.11後の世界

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help RSS 「フクシマ」論

<<   作成日時 : 2011/08/02 15:55   >>

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 2011年8月2日(火)記

 「『フクシマ』論  原子力ムラはなぜ生まれたか」(青土社)の著者、開沼博(27)さんにお目にかかった。

 開沼さんは、今年1月14日、在籍する東大大学院学際情報学府に、修士論文「戦後成長のエネルギー——原子力ムラの歴史社会学」を提出し、3月15日の終了確定を待つばかりだった。

 その直前に、東日本大震災が起きた。

 6月末に、その修士論文に加筆して出版されたのが、この本である。

 序文に、「これは3・11間際のフクシマを記録した唯一、最後の研究である」と書いているように、福島第1、第2原発の成り立ちを、地元の立地町村の視点から丹念に検証し、その構造を読み解いた秀作である。

 私たちは3・11後にフクシマに注目し、おびただしい情報や言説が飛び交うのを目にしたが、フクシマは40年間、意識下に忘れ去られていたのである。なぜだろう。

 事故が起きてから、「私たちは、なぜこんなにも危険な原発を福島に押しつけてきたのか」「過疎に苦しむ町村に、
札びらで迷惑施設を押しつけ、電力を多消費してきたのは首都圏の私たちだった」という反省が生まれた。それはそれで、正しいだろう。ただ、3・11以前に、フクシマがなぜ忘れ去れたかを解明しない限り、フクシマは再び忘れ去られるに違いない。それが開沼さんの立論の原点だと思う。
 この本で開沼さんは、よく言われる事業者や官僚にまたがる専門家集団「原子力ムラ」を<原子力ムラ>と表記し、それとは別に、地元の立地周辺自治体を「原子力ムラ」と呼んで、フィールド・ワークを進めている。

 地元が原発を「自発的に」受け入れた側面を見落とせば、「かわいそうな人びと」という同情のもとに問題を自らとは切り離し、忘却するプロセスに陥らざるをえないからだ。

 米国の日本研究の第一人者ジョン・ダワーが「昭和」(みすず書房)で分析したように、戦後の日本の急成長をもらたしたのは、戦前から戦時にかけてつくられた「総力戦体制」だった。敗戦にもかかわらず、日本が平和の時代に繁栄したのではなく、「戦争ゆえに」、戦後の奇跡の急成長を達成したのである。

 開沼さんは、そうした視点に立って、戦前から福島が首都圏に水力、火力のエネルギーを提供し、戦後は原発によって、中央に電力を提供してきた歴史を振り返る。当時は原発は「夢のエネルギー」であり、知事ら地方のエージェントは、積極的に誘致をしてきた。地元も、「豊かさ」や「都市化」を実現するシンボルとして、原発を「抱きしめた」。
東電の雇用で、もう出稼ぎに行かなくとも、地元で家族と時間を送れるようにもなった。

 だが、その後の電源三法による交付金や固定資産税の目減りで、地元自治体の財政力指数は悪化していく。
原発以外に、代わる収入源は見当たらない。いつの間にか、原発に依存し、新たな原発を受け入れる「自発的服従」の姿勢が生まれる。

 一方で、官僚、産業、政治家、学者、メディアらがつくる、<原子力ムラ>も、強固な構造をつくって原発推進体制を完成させた。反原発運動は起きても、それが主流となることはなく、ある種の均衡状態がうまれる。原発に舵を切るのは「55年体制」のもとであり、自民党と野党の勢力バランスが固定化したからである。

 こうして、中央の<原子力ムラ>と、地元の原子力ムラが共鳴し、呼応することによって作られたのが、フクシマ原発だった。それは、だれによっても意識から切り離され、隠蔽され、忘れ去られた存在になっていったのである。


 いわき市出身の開沼さんが「フクシマ」を研究するきっかけは、六ヶ所村を訪ねたことだった、という。中央から遠く離れた場所に広がる超近代的な施設がもつ圧倒的なリアリティ。だれも気づいていないが、日本のシステムを支えている現場が、意識から切り離されて存在している。

 「沖縄の基地もそうですが、原発も50年間かけて、無意識化されてきた。それを、原発推進、原発反対といった二項対立で考えるのではなく、なぜ無意識化されてきたのか、という視点に立って考えたかった」

 たとえば、地方の衰退や過疎化を「悪」ととらえる価値観に拠れば、泡のように浮かんで消えたレジャー開発やリゾート開発に比べ、長期間にわたって金と雇用を保障してきた原発を、「悪」ととらえる考え方は無効になる。そうした善悪二元論ではなく、なぜ地元が原発を受け入れてきたのかを、地元の人びとの視点で、考えたかった、という。

 開沼さんは、著書出版後も、福島の現場を訪ね、何が起きているのかを見守り続けている。半径20キロ圏内で、
今も暮らし続けるお年寄り。原発作業員の人びと。

 もし、原発が冷却安定化されたら、この事故すら、「なかったこと」になってしまうのではないか。開沼さんは、そう危ぶんでいる。

 「福島は、そう簡単には変わらない」。そうした開沼さんの発言に、「流れは大きく変わった」「3・11以前とは違う」という批判もなされたという。しかし、原発への無意識の「信心」を、別の「信心」に置き換えても、福島の現実は変わらず、それはいずれ忘れ去られてしまう。

 彼の出発点は、忘却されたフクシマを再発見することであり、震災後も、その忘却のメカニズムを自覚しない限り、この問題に向き合うことはできない、という立場は見事に一貫している。

 「今歴史から学ばねばならないのは、水俣と、沖縄だと思います。水俣は、人間自身が開発した科学技術によって、何十年というスパンで、大きな健康被害を及ぼした。そのプロセスは、放射線被害に似ています。もう一つは、沖縄の土地の占有という問題。フクシマの警戒区域は、財産権、居住権、思い出、文化が略奪され、足を踏み入れたら違法、という状態が続いています。なぜそんなことになったのか。これだけ国の都合で作られたものが、なおも事故後、住人を翻弄していく。普天間に学ぶことは多いような気がする」


 原発事故後、これほど包括的にフクシマを扱った研究は出版されていない。足元をみつめ、現実に向き合うための最良の書として、一読をお勧めしたい。


写真は、いずれも開沼さん






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