4・27福島原発事故に関する公開質疑~事態の見通しと対応策~の感想/山崎久隆
ほんの短い時間ではあったものの国が空(くう)の実態であることがよくわかりました。そのことは別の意味で恐怖です。
そろそろ日本ではどうしようもないことを明確にしなければならないかもしれません。特に「オールジャパン」などという割には肝腎の原子力開発機構(旧動燃)などの姿が見えません。原子力機構が「見えた」のが、福島県内の環境モニタリングをしている姿でした。
環境モニタリングそのものは重要な作業ですが、これは日本各地の電力会社からの応援を得られれば簡単にできることで、原子力機構のスタッフで無ければ出来ないことなどではありません。
悪いけれど、みんな責任を逃れようとしているようにしか見えない。
特に高レベル廃液をどうするつもりかという点については、大きく危惧しているのが配管の表面線量です。おそらくタービン建屋を貫通するような廃液のホースを通すようですが、そんなことをしたら廃液の放射線のために近づくことも出来ない可能性があります。漏えいが見つかっても補修さえままならない。そんな基本中の基本が何故かないがしろにされている。手続きがどうとか言うような問題では無く、そもそも技術も能力も無いんじゃないかと思えてなりません。
東電も保安院も原子炉の実態が分かっていないようなので、まず原子炉の実態解明からしなければならないのです。そうであればなおさら、世界各地の英知を結集するほか無いのに、日本の知見さえ結集できていないのですから、絶望的です。
国際的な支援の体制を取らねばならない段階だと思うのですが、それを要請するにも「誰の責任」となるのでしょうか。誰も「help」を言い出せない状態に見えます。
保安院が「希望的観測」を述べなかったのが、強く印象に残りました。
今までですと、たとえどんな状況であっても必ず希望的観測に逃げていったのですが、今回は特に前川課長は節目ではそうしませんでした。それだけ危機的なことを明らかにしたことで、参加された国会議員の皆さんにも事態が容易ならないところに来ていることを改めて強く認識することになったのではと思います。
しかしもう時間はあまり残されていないかもしれません。
水棺にするまえに、もっとデータなり現状分析に必要な情報を取得しなければならないと思います。そうでないと、建屋は持たないかもしれない、格納容器の破損から大破壊になってしまうかもしれない。そういう可能性は否定しませんでした。余震でも倒壊の危険は去っていませんし、津波にもう一度襲われれば終わりとも言っていました。そういうこと一つ一つが、認識に差が無かったこと、それが恐怖の根源の一つでもあります。何か否定されれば、そういう見解もあるのかと再度考える余地が出るのですが、とうとうそのような「余地」は存在しなかったのです。
いま、「専門家」と市民の活動家の間で見解の相違が徐々に無くなってきているように思います。
例えば小佐古敏荘東大教授が内閣府参与を辞任したのも、年間20ミリシーベルトの基準が内閣と安全委により短時間に独断的に決定されたことへの抗議だったと報道されています。小佐古敏荘氏と市民はこれまで対立してきました。原爆被爆者訴訟では国側証人で何度も対立してきましたし、原発推進であることは間違いないのですが、ここにきて「年間20ミリシーベルトの基準」では国際的立場がなくなり、学者生命が維持できなくなるということが辞任の一つの理由だったようです。それほどに国の基準はそれまでの推進派学者にとってさえ許容できないほどのレベルのものということで、今何としても跳ね返さないととんでもないことになりそうです。
- kimura-mさんのブログ
- ログインしてコメントを投稿