原発の現状も避難態勢も「わからない」という恐怖 /杉原浩司
<4・27 福島原発事故に関する公開質疑の感想>
原発の現状も避難態勢も「わからない」という恐怖
杉原浩司
福島(東電)原発震災後、国会議員会館では連日数多くの院内集会が開かれている。そうした中で今回の「公開質疑」の特徴は、与党民主党を含む超党派議員有志と脱原発派の専門家、市民が原子力安全・保安院、原子力安全委員会という責任当局と直接向き合い、問いただし、対策の実行を迫るという構図にあったと思う。もちろん事故前も、議員有志と市民による政府当局との交渉は行われてきたが、その規模を広げて、開かれた交渉にしたところが「事故後」の特質と言えるのではないか。
一方で東電や保安院、安全委員会等の記者会見は開かれてきたが、私たち市民はそのごく一部を間接的に知るだけだし、その内容も決してわかりやすいものとはなっていない。「原子力利権複合体」が牛耳る非民主的な体制こそが事故を引き起こしたとすれば、その解体は民主主義の徹底、すなわち「知る権利」に基づく開かれた議論によってこそなされるべきだ。公開質疑の試みはそのためのささやかな一歩でもあった。
では、終わってみて実際どうだったか。一言でいえば、極めて不十分だったというのが私の感想だ。今回の獲得目標は、事故拡大の危険性を明らかにしたうえで、その際の緊急避難態勢をきちんと整備させることに置いていた。そのために、原発事故の現状評価については、事前に資料請求を行いあらかじめ把握したうえで、当日の議論に臨もうとした。しかし、保安院や安全委員会が請求資料を提出したのは当日午前だった。これでは分析するどころか、増刷するのさえ大変という有様だった。未回答項目も多い。強く抗議しておきたい。
もう一つは、出席した当局の担当者が、責任をもって説明できる権限と水準を備えていなかった点だ。本来なら、保安院長や安全委員長もしくは代理レベルの人間が当然出席するべきだろう。国会議員には、課長や課長補佐に「サンドバッグ」役を押し付けるこうしたやり方を改めさせるよう強いイニシアチブを発揮してもらいたい。
内容に関して言えば、「わかりません」という言葉が繰り返されたことに改めて恐怖を覚えざるを得なかった。それは正直といえばそうかもしれないが、全てのデータを開示しないままにそう言われても困る。あらゆる情報を公開したうえで、「自分たちはわからないから、どうかわかる人は教えてほしい」と訴えるべきであり、この期に及んでの情報隠ぺいは明らかに犯罪に等しい。やり取りの中で、槌田敦さんらの具体的提案を、担当者が好意的に受け止めた場面も見られた。在野も含めたあらゆる知見を収集して活用する態勢が未だに整備されていないことは、決して許されないことだろう。
後半、崎山比早子さんの「事故を招いた責任者が『何ミリシーベルト』という基準を決めるのはそもそもおかしい」との発言に会場から大きな拍手が湧いた。加害者が責任を問われぬままにその権限を維持し、生命に関わる政策の決定権を持ち続けている構図こそが根本的に改められるべきだと思う。
限られた時間の中で、肝心の避難態勢の整備に関する質疑がほとんど深められないままに終わってしまったことは本当に残念だ。時間配分がうまくいなかったことに加えて、保安院側の質問への回答説明は、今後の事故拡大時の避難態勢ではなく、現状の避難対応についての言及に終始していた。質問の意図が全く理解されていなかったようだ。今後の避難態勢の拡大など検討する余裕すらないのか。
無策は絶対に許されない。例えば飯舘村は本来もっと早期に、政府の責任において避難がなされるべきであった。子どもへの被曝基準「年20ミリシーベルト」強要の問題や、SPEEDIが未だに本来の役割を果たしていないことも含めて、避難態勢は極めて不十分なままだ。「予防原則」に基づき、必要な避難態勢をきちんと整備させるという最大の獲得目標が持ち越しとなってしまったことは大きな反省点だろう。国会議員とも相談しながら、早急に何らかの形で追求していかなければならないと思う。
(5月2日)
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