外岡秀俊 3.11後の世界

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<<   作成日時 : 2011/10/18 21:00   >>

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  2011年10月18日(火)記

 10月17日、7月末まで福島市の渡利小学校長だった高橋友憲さん(61)にお目にかかった。

 高橋さんは3月末で定年退職の予定だったが、震災とその後の福島第一原発事故を受けて4か月の勤務延長となり、除染活動などで奮闘した。

 3月11日の震災当日は、余震で授業ができず、校庭に児童を避難させたが、揺れで立っていられないほどだった。教師に引率させて帰宅させたが、小学校の体育館はその日から一週間、最大で250人が暮らす避難所になり、卒業式、修了式もできなくなった。
 
 高橋校長ご自身も保険室に泊まりこみ、住民のお世話をした。卒業証書は担任が児童の家を一軒ずつ訪ねて手渡したという。

 だが、試練はそれからだった。

 渡利地区は、原発から約60キロ離れているが、福島市内でもひときわ放射線量が高く、小学校をどう運営していくのかが、正面から問われたからだ。

 4月6日に福島県災害対策本部が計測したところ、小学校の校庭の放射線量が、毎時4.8マイクロシーベルトという高い数値だった。

 高橋校長は、登下校時にはマスクを着用し、帽子をかぶって肌を露出しないこと、外から帰ったらウガイをするよう健康管理を徹底させた。教室の窓はあけずに授業をし、子どもたちを校庭に出さないこと、屋外活動を自粛することも決めた。
 
 体育や遊びは体育館でおこなった。
 校地内での植物観察はとりやめ、生活科や社会科、理科などの学習で地域に出ることもできなくなった。遠足や運動会、鼓笛パレードや水泳なども延期かとりやめになり、子どもたちの生活がとても不自由なものになった。

 「私は理科を教えてきたが、植物観察ひとつをとっても、小学生では五感すべてを使って理解するということが大切です。教育には、ある発達段階でなければ吸収できないことがあり、これを適時教育といいます。この時期は、子どもたちから適時教育の機会が奪われてしまった」と高橋さんはいう。

 4月14日に文部科学省が計測したところ、校庭の放射線量は毎時3.7マイクロシーベルトという数値になった。登下校、屋内外の授業、家庭などでの放射線量をモデル計算してみると、授業日には24時間で25.4マイクロシーベルト、休業日は25.0マイクロシーベルト、年間を通じて計算すると9.207ミリシーベルトという計算になった。

 4月中旬に文科省は、被曝許容量として年間20ミリシーベルトという数字を打ち出した。

 何もないときは年間1ミリシーベルト、自然界から受ける放射線の世界の平均は2.4ミリシーベルトだ。

 たとえ事故があったとしても、子どもたちに年間20ミリシーベルトもの被曝を許容するとは、「ありえない数字」だと感じた。

 4月22日、高橋校長は学校経営説明会で、保護者に現状を説明した。「文科省の計測をもとに試算すると、年間の被曝線量は約10ミリシーベルトになる」という現状を報告したが、保護者はまだピンとこない様子だったという。しかし放射線への関心は高く、例年なら50人前後の出席者は、この日は300人にもなった。

 できることは、すべてやる。それが、高橋さんが思い定めたことだった。

 4月25日以降、文科省から「放射線メーターはかるくん」3台を借りて、校内の線量の測定を始めた。メモリは10マイクロシーベルトまでしかなく、屋外プールサイドでは針が振り切れた。

 「学びの適時性」を確保しながら、どうやって子どもたちの健康を守るのか。日々、そのバランスを求めて暗中模索を続けるしかなかった。授業は大きく制限された。だが、この時期を、「失われた一学期」にしてはならない。
 
 予想もしない難題が次々にあらわれた。

 教室の窓をあけずに授業すると、空気が汚れ、インフルエンザなどの感染症のおそれがでてきた。夏に向かって気温があがり、熱中症の心配もあった。エアコンがないので、扇風機で暑さをしのぐしかなかった。

 安全の基準も定かでなく、実際に安全かどうかの判断もできない。

 かつてない苦しい学校経営を迫られたが、子どもたちが意外に元気だったことに励まされた。学校に来て、友達がいて、先生がいて、一緒に勉強できることが、子どもたちにどんなに大切なのかを、改めて感じさせられたという。

 5月27日、文科省は、放射線許容量を年間1ミリシーベルトに限りなく近づけると発表した。この日、渡利小学校でも校庭の表土改善工事が始まった。

 6月2日までかかった表土改善工事のあと、校庭の放射線量を測ってみると、毎時0.2マイクロシーベルトにまで低くなっていた。これを205日間の学校の授業で計算してみると、屋外活動が3時間ある以前の授業日に戻しても、年間1ミリシーベルトの半分ですむことがわかった。高橋校長は、校庭での体育の授業再開を決めた。

 「校庭に出すと決めたあとも、実際に子どもたちが出てくれるかどうか、心配だった。遊びに出た子は3割くらい。授業では、ほとんどの子が出てくれた」

 渡利小学校は創立明治6年の伝統ある小学校だ。児童数677人、職員45人。医師や大学の教員の子どもら39人が、一学期のうちに県外に転校し、夏休み中にも転校した子がいる。代わって、福島第一原発に近い市町から避難してきた子も30人くらいいる。

 延期していた運動会は、10月1日に開かれ、高橋さんも招待された。時間は縮小され、2時間だけだった。しばらく屋外で運動していなかったせいか、転ぶ子が目立った。

 転校していった子のその後が、気がかりだ。しかし、子どもたちは人間関係を、自分たちで再生するちからをもっている。長いあいだ、子どもたちを見守ってきた高橋さんは、そう信じている。

 写真は上から

 高橋友憲さん

 表土改善事業をおこなった福島市立渡利小学校の校庭





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