2011年10月17日(月)記 大玉村にある富岡町の仮設住宅で見かけた黄色い旗は、自治会長の鎌田光利さん(56)らの手製の作だった。 この日、鎌田さんは、こんな紙を配った。「この黄色の旗は毎朝、玄関先に出し、夕方には片付けることになっています。旗が出ている時は元気という合図です。旗が出たままだったり、旗が出ていない場合は体調不良や不在ということが分かります。その際に周辺住民の皆様、声を掛けてみてください」 最近、テレビで「幸福の黄色いハンカチ」が放映されたが、旗を作り始めたのは、もっと前だ。区域ごとではなく、抽選でばらばらに仮設に入った人々は、互いに知り合いでない場合が多い。お互いに遠慮して、はじめはなかなか声も掛けられない。独り暮らしの高齢者は、容態が悪化しても、迷惑をかけられないと、がまんする人もいるだろう。 せめて、旗を目印に、お互いを見守ろうと考えてのことだった。 大玉村の仮設には、70歳以上が45人、60歳以上だと60数人が暮らしていらっしゃる。独り暮らしは45世帯くらいだという。 大玉村の仮設住宅では先月、自治会を設立し、鎌田さんが会長に選ばれた。被災前は建設業に務めていたが、震災と原発事故で、会社はなくなった。鎌田さんは、大玉村に移ってから、「さくら建設」という会社をつくり、大工さんら仲間と共に、富岡町から仕事を請け負って、木製テーブルやイスを作っている。別の避難所に出荷する予定だ。「人間、体を動かさなきゃ、元気がでないからさ」。社名の「さくら」は、富岡町の町花からとった。 16日午後1時すぎから、仮設の集会所で、自治会の第一回役員会が開かれ、私も傍聴させていただいた。参加したのは役員11人。 この日は、近く参議院議員が視察にくるにあたって、どんな要望を伝えるかを話し合った。 「原発事故について、国の方針は混迷している。どうか本音を聞かせてほしい、っていうのが、第一の要望かな」。鎌田さんが水を向けると、役員が次々に発言した。 「仮設は2年で、もう1年延長するとしても、それだけの住環境ができていない。部屋は狭いし、障子も襖もない。風呂は小さいし、収納場所がない」 「それより、復興住宅はどうなるのか。まったく見通しがたたない」 「精神的苦痛に対して、半年は月に10万円、その後は月に5万円というが、避難が長引けば苦痛が減るというのはおかしい。むしろ苦痛は大きくなる。5万円では暮らしていけない」 こうした不満が次々にでたが、ある役員が、「一番いいたいのは、3日でも一週間でもここで暮らしてみてください、っていうことだ。そうすれば、ここでの生活がわかる。しかしなあ、怒りのぶつけどころが見えない。ぶつけたとしても、どう返事が返ってくるか」という。 「それもそうだなあ」と、あきらめに似た相槌をうつ人が多い。 近く、富岡町長との懇談を要望するが、住民がもっとも聞きたいのは「町の今後の方向性」だという。 「避難生活はどのくらいになるのか。われわれは5年とみているんだ」。ある役員がそういうと、別の役員は「最低でも5年だ」と言葉を継いだ。別の人は、「5年が2年、3年に短縮されて安全に戻れるのなら、それが最高だ」と言い添えた。 町だけでは何もできまい。県や国を巻き込んだ復興ビジョンづくりに立ち上がってほしい。それが、多くの住民のお気持ちだろうと感じた。 話題はここから、目前の暮らしの課題に移っていった。 大玉村仮設では、独り暮らしのお年寄りが多い。月に4〜5万円の年金暮らしで、生活費を抑えるために暖房を使わない人もいるだろう。配られた布団は薄く、寒さの厳しい大玉村ではこの冬が不安だ。 心臓発作用のAEDが近く仮設にも配られ、講習もおこなわれるが、かんじんの機械を役場の詰め所に置いておけば、夜間にはカギがかかって、とっさの場合に開けられない。機械は分散保管する必要があるだろう。 町役場担当者の夜間の携帯連絡先も確かめておこう。そうした細かな確認事項が次々とでてきた。 仮設はサッシ窓をはめてあり、騒音が聞こえないのはいいが、雨が降ってもなかなか気がつかないほど静かだ。いざ火災や出水のおそれがあって大声で呼びかけても、気づかない人が多いだろう。拡声器や、スピーカーも必要だ。 それに、これから暖房で灯油ストーブを使う人には、あらためて火気に注意を呼びかけることも必要になるだろう。 こうして、たちまち2時間近くがすぎた。 安否を確認しあう「黄色い旗」など、仮設住宅ではさまざまなアイデアで、コミュニティを守り、互いを助け合う知恵がうまれている。 阪神大震災の場合には、仮設住宅を支えるボランティア団体が多く、その連絡会などで、こうした知恵を伝え合い、学びあう機会があった。今度の東日本大震災では、被災地があまりに広域にわたり、仮設を支えるボランティア団体も少ない。それに、震災や津波、原発事故など、地域や避難の事情も大きく異なっている。 当面、その役割をになうべきなのは、メディアだろう。たとえばこの日は仮設の「二重サッシ化」が話題になった。ある別の仮設では、冬場に向けて二重サッシにしたところがあるという。 こうした情報でも、新聞の県版やテレビのローカル枠で、「この仮設では、こうした二重サッシ化が認められた」という短信があるだけで、はじめて気づく仮設の人々が多いだろう。「今日の仮設住宅」という欄があってもいいはずだ。 「黄色い旗」のような取り組みを共有すれば、今後の災害でも、大きな知恵のデータベースになるのではないだろうか。 写真は、上から 仮設住宅に立てられた黄色い旗(左が鎌田さん) 第一回自治会役員会 |
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