2011年9月18日(日)記 福島県楢葉町と広野町にまたがるナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」に行ってみた。 ここは1997年に開設した国内最大規模のサッカーの拠点である。11面の天然芝、人工芝フィールド、屋根つき練習場のほか、5000人収容のスタジアムは、なでしこリーグの東電女子サッカー部「マリーゼのホーム・スタジアムとして知られた。ホテルやフィットネス設備もあり、2002年のワールドカップでは、アルゼンチン代表のキャンプ場にもなった。 9月17日付朝日新聞社会面によると、東電は130億円を出してJヴィレッジを福島県に寄贈してのち、福島県郡山市、新潟県柏崎市、刈羽村から苦情や要求を受け、3市村に計130億円分の寄付をしたという。うち郡山市には寄付の名目が立たないので、県所管の財団を経由して30億円を寄付し、「ふれあい科学館」の施設整備費として使われたという。 ところで、福島第一原発から約20キロにあるこのJヴィレッジは、震災直後には避難所として使われ、3月12日からは原発事故のために宿泊客、スタッフ、楢葉町民がいわき市内の小中学校に再避難した。 3月15日からは、国が所管し、福島第一原発の事故処理、第二原発補修点検のため、自衛隊や東電の前線基地として使われている。 メインの宿泊施設は、入り口にインナー、アウターの放射線防護の遮蔽物の箱が山積みにされており、大勢の東電、メーカー、関連会社、作業員が出入りして、受付で装備や作業手順のチェックを受けている。関係者によると、 施設内には休憩所、売店、医療施設などがあり、最近では食糧配給はやめてカフェテリアもオープンした。 作業員の人々は、袋に使用した衣服などを入れて除染やスクリーニングを受け、大型、小型のバスで移動している。建物裏手のバス停に並ぶ人々をみると、意外に年配の男性が多い。多くは緊張でこわばっているか、過酷な作業で疲れきった表情をしており、笑顔は少ない。たがいに話すこともまれで、じっと前方をみつめている。 それもそうだろう。放射線量の高い地域での作業は、極度の緊張を強いられるはずだ。 事故後、自衛隊とともに放水作業に携わった人の話によると、福島第一原発の設計図はGEの英文表記のものしかなく、どの地点に放水すればよいのか、手探りで作業を進めるしかなかった、という。 政府方針はぶれたし、事故処理にあたっては初動に多くの問題を残したが、それでも危険を顧みず実際に作業にあたった人々には頭を下げるしかない。 作業員の人々は、おおむね一週間交代でやってきて、いわき市内のホテルに宿泊している。その数は最大で3000人。このため、いわき市内のホテルは、週末以外はどこも満室状態が続いている。東電の職員は約1500人。最近、Jヴィレッジの敷地内に単身宿泊用のプレハブ住宅が建てられ、そこで寝起きしている人が多い。だが、建設作業用の宿舎で、まわりには売店やレストランも少ない。長期の作業ではかなり疲労が蓄積されるだろう。 事故後、東電への批判が高まっている。これだけの事故を起こした体質や責任について、経営陣を追及するのは当然だろう。いまだ避難を強いられている人々の無念さや苦痛、お子さんを持つ親の心配や危惧を思えば、東電の起こした人為による災害は許されない。 だが、一方で、いたずらな東電バッシングによって、社員のすべてや、その家族にまで感情的な怒りをぶつけるのは、いただけない気がする。 福島第一原発の処理には、十数年の歳月が必要だ。その作業は、ブロックを一つ一つ積み上げるように細心な、果てしないエネルギーが必要だ。しかもそれは、何かを作り出すという生産的な作業ではなく、マイナスを消し去るという後ろ向きの作業だ。 その長期にわたる作業が、間違いなく、確かなものであるように、作業にあたるすべての人々の健康と安全を祈りたいと思う。 写真は上から 1 Jヴィレッジ玄関 2 Jヴィレッジ内 3 単身者用宿泊施設 |
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