2011年8月6日(土)記 「情報会議」のあり方に、再び転機となる出来事が起きた。 2007年7月に、新潟県中越沖地震が起き、東電が運用する柏崎刈羽原発で60数件のトラブルが発生して海や大気中から放射線が検出されたのである。 その直後の7月27日に開かれた第19回会合では、この地震と事故に質疑が集中した。 刈羽原発が設計時に想定した加速度の2.5倍の揺れに襲われたことを問題視した富岡町・安藤正純委員は、次のように尋ねた。 「福島第一原発は発電を開始してから33、34年の発電所があり、その発電所は40年前ぐらいの耐震設計で造られていると思うのですが、その当時のレベルの耐震設計は、今のこういった海底の活断層とかは多分想定していないのではないかと思います。新潟のような地震があったとき、この辺は被災しないとは断言できないと思うのですけども、特に古い老朽化したような発電所は大丈夫でしょうか」 これに対し、大出厚・福島第一原発所長は、古いプラントであっても、当時経験した地震だけでなく、構造上起こり得る地震について想定した上で、十分耐えられると答えた。 「現在までの知見では、福島第一原子力発電所1号機は十分に耐え得ると評価しておりますし、それを国にも評価していただいていると思っています」。 これに対し安藤委員は、「想定外の地震も想定して努力をして下さい。お願いします」といって質問を打ち切った。 楢葉町・渡辺征委員は、高経年化へのかねてからの懸念を、再度表明した。 「建設当初30年持つと言っていたものが50年か60年持つというのは神話に等しいのではないかと私は思いますし、今の物は今の物で、発電していかなければならないのですけど、やはり今の物は何十年も持つという言い訳はそろそろ止めていただいて、古い物は停め、新しい立派な丈夫な物を造っていくのだという、はっきりした形の方が分かり易いのではないかと思いますし、そのようなこれからの進み方にしていただきたいと要望いたします」 大熊町・根本充春委員は、保安院側の説明に反発した。 「先ほど説明いただいた保安院の方にご質問申し上げます。先ほどの説明を聞いて、ものすごく気になることがあります。『チョッと』とか『少し』という話をされますが、地域住民からすれば、絶対に放射能は外部に漏れてはいけないのです。チョッとだから、基準より少ないから、ラドン温泉より少ないです、というような話をされるのは東京に住んでいるから言えることであり、我々地元に住んでいる人はそんなこと一切許されないのです。そういう考え方を変えていただかないと保安院としての本当の仕事はできないと思います。そこをやはり変えてほしいと思います」 これに対し、保安院からは、「絶対に出てはいけないと言われますと、絶対にということは有り得ない。科学的な知見に基づき、その量が生活をするうえで1千万分の1、10億分の1の影響であり人体への影響は無い」という説明があり、大出厚・福島第一原発署長は、「委員の皆さまには色々とご心配をお掛けしておりますが、基本的には、発電所から出さないのが基本と思っております。ただ、やはり、どういったものでもゼロということはないので、基準がないと設計もできませんし、努力はして来ていますが、全くゼロにはできないのが実態です」と話した。 話が通じないことに苛立った根本委員は次のようにいった。 「全くゼロという話をしているのではないのです。それを許されるのだという前提で物を考えるのはやめてくださいと言うことです。今回の柏崎の話を聞いても、止めるのを忘れて出ていた訳ですから。そういうことなのですよ、我々が一番困るのは。プラント的にどうしても微量の物が出てくる、技術的に抑えることができないというのは、それはそれで理解できるのです。それ以外のことを想定外ということで片付けるのはやめて欲しいということです」 富岡町・猪狩利幸副議長も、「想定外」を問題にした。 「先ほどから想定外という言葉が出ており、想定外という言葉を聞いて不審に思いました」。そう切り出した猪狩氏は、「今回の新潟で起きたのは柏崎から17kmのところに断層が有ったということだったと思うのですが、柏崎は(福島)第一と第二みたいに発信船を出して断層を調べたのですか。想定外の言葉の中には2・5倍の基準を超えたガルがあったということがありましたが、断層を明確に把握していなかったために、いわゆる直下地震が起きたのは必然的な結果です。私は東京電力が断層を調べていないのが原因であると思います。想定外というのは論外ではないかと思います」 2007年10月2日の第20回会合でも、話題は柏崎刈羽原発の事故に集中した。 事故経過の詳細が明らかとなり、富岡町・安藤正純委員は引き続き、想定の甘さを追及した。 「原子力発電所は、設計時に274ガルで設計されていますが、今回、柏崎では680ガルという高い数値が出ました。このように元々計画の段階から弱く作ってあるのですが、浜岡では1000ガルを想定して耐震補強工事をやっています。地震は時間と場所を選ばないので、1年、2年後の地質調査結果を待たずに、福島第一、第二も1000ガルまで上げるつもりでやってほしいのです。この資料では、建築基準法では3倍の強度に耐えられるように作ってあるということですが、今の設定が低い訳ですから、もっともっと高いガルに耐えられるようにすべきだと思います」 こうした訴えに対し、保安院の佐藤暁・原子力安全地域広報官は、「地震工学や地質学などは日々進歩しております。地震というのはその場所に応じて、その土地の固有の事情と地震工学、地質学の最新の知見を組み合わせて皆さんが安心して頂けるように審査し、必要があれば補強工事を実施するということになると思います」という一般論で答えた。 「安全だから安全。必要があれば補強する」という言い方に、安藤委員は強く反発する。 「今、知見という言葉を使っていましたが、地震が多い場所に建設を許可したのは国だと思います。何の知見を元に建設を許可したのですか。過去の地震などを考えて許可したと思いますが、何故そういう危ないところに許可をしたのですか」 これに対し、保安院などからの説明が続くが、佐藤委員は納得しない。 「IAEA(国際原子力機関)が今の説明をしてくれるのであれば私は納得します。保安院は残念ながら信用できないので、もう少し信頼される保安院になってから信用するようにします。新潟県知事もIAEAが終息宣言というか軽微であったと発表したことで、やっと安心しましたといっていました」 この後、なぜこの時期に定期検査の期間を延長するのかについて委員の質問が相次いだ。 保安院は、「一律に13か月ごとの定期検査が科学的に、合理的に適うのかと考え、運転中も365日毎日検査をすることで、安全は確保できる」という。これに対し、大熊町・木幡仁委員が、次のように発言した。 「科学技術に係る者のよい意見であると思いますが、時おりこのような意見は住民感情を飛び越えて、思いよがりに近い場合もあります。全て科学技術が人間の安全だとか、生活の向上に寄与してきたかといいますと、実はそうではないわけです。いろんな意味でこれは安全だといいながら、歴史では、悲惨なものを目にしてきたわけです。住民の安全安心という感覚に対して、実績を残して納得した上で、物事を進めるべきです。そういった手順を求められていると思うのです。確かにやればここまでできるのだという到達レベルは私にも理解できるのですが、それが住民の納得を得られる形で進められているかといえば、手順と手続きが市民社会の民主主義の中で問題になるのではないでしょうか」 もうこのあたりでいいだろう。 長々と「情報会議」での議論を追ってきたのは、ほかでもない。地元住民は、今回の東日本大震災が起きる前から、この震災で問題になったことの論点をほぼ網羅し、国や原子力安全・保安院の姿勢や、東電の体質を問題にし、事態の改善を迫っていた。 まずは、国と東電が、それまでの「耐用年数は40年」という立場を変え、「原発は60年は持つ」と言い出したことに、住民が不安をかき立てられたこと、さらに定期検査の間隔を延ばすことに不審を抱くようになったことを想起したい。 住民は、保安院が、規制機関としてチェックの機能を果たさず、その調査能力にも限界があることを、繰り返し警告してきた。相次ぐ「トラブル隠し」やデータ改ざんの発覚は、それを東電も保安院も事前には見抜けなかったこと、つまりはチェック機能の失敗を物語っているからである。住民は何度も、推進機関と規制機関が同じ経産省にあることの問題を指摘し、改善を迫っていた。 また、「想定外」という言葉の持つ無責任さと、それを弁解のように使う原子力関係者の修辞の罠にも、鋭い鉾先を向けていた。最新の知見によれば、安全はすべて確保されている。その結果起きる事故やトラブルは、すべて「想定外になってしまう。「想定外」とは、実は「想定」そのものが、甘いから起きるのではなかったか。住民はそうも指摘していた。 原発をめぐる手続きが、「民主主義」の手順と手続きに則っていないことも、繰り返し指摘済みだった。もし、住民の声がそのつど反映されていたなら、同じ「トラブル隠し」は二度と起きなかったろう。関係機関への勧告も事態改善につながり、事故後も迅速な情報開示が行なわれたのではないか。 原子力政策は、国の専権事項であり、地元立地町や県の管轄は及ばない。それを少しでも打破しようと、地元住民と国、東電が直接話し合い、情報を開示して改善点を共有し、それを「開かれた原子力行政」へと結び付けようとして発足した「情報会議」だったはずだ。 それにもかかわらず、住民の声は反映されず、震災によって事故は起きた。事故の直接の原因になった大津波が、実際に「想定外」だったかどうかについては、議論が分かれるだろう。しかし、事故対応や、地元住民の避難指示・誘導、事故後の情報開示が適切だったかどうか、それをすべて「想定外」という言葉で正当化してよいかどうかは、また別の問題だろう。 事故が起きたことで、「情報会議」でなされた議論は、すべて無意味で、徒労だったといえるのだろうか。 そんなことはない、と私は思う。 地元住民はすでに多くの機会を利用して、制度の問題点と改善点を挙げていた。 つまりそれは、公式の場で何度も指摘されながら、改善を怠ってきた国や東電の責任放置を、今も物語る資料として、重要なのである。 さらに、このことは、震災が起きるまで地元住民は原発の安全性を疑わず、国や東電を信頼しきっていたかのような言説が、はっきりと幻影であることも明かしている。 今後、原発事故について、国や東電の「予見可能性」があったのかどうか、つまりはそれが本当の意味で「想定外」であったのかどうかについて、「情報会議」の議論が大きな意味をもつ、と私は思う。 写真は、 原発事故後、グラウンドの表土の削り取りを進める郡山市の中学校。事故は沿岸部だけでなく、「中通り」にも大きな影響を与えた。7月12日、郡山市立第一中学校で。 |
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