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help RSS  検証・双葉病院 その3

<<   作成日時 : 2011/07/17 19:17   >>

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  2011年7月17日(日)記
 
 特定医療法人「博文会」が経営するいわきの病院で待機していた杉山健志医師は、第二次避難の患者を引き受けてくれといわれ、慌てた。すでに第一次避難をしてきた200人以上を収容し、病院は満員状態だった。とても新たな患者さんを引き受ける余地はなかった。

 14日午後、県障害福祉課からの電話を受けたのは、「博文会」の法人本部の横田桂一次長だった。はじめは第二次避難の車が「いわき光洋高校に向かう」と聞かされ、すぐに待ったをかけた。
 「ちょっと待ってください。重篤な患者さんが多い。体育館ではとても無理です。すぐに病院を探してください」

 「わかりました」といって電話が切れ、間もなくまた、電話があった。

 「県立医大と会津若松の病院を確保した。しかし、自衛隊と連絡がつかない。いわき光洋高校に行って待機してくれ」

 その後、また連絡があり、南会津病院のスタッフが高校いわき光洋高校に行くので、それまでの間、医師が対応してくれないか、と要請があった。

 横田桂一氏ら医師とケースワーカーら5人が高校に向かったが、待てど暮らせど、バスは来ない。夜の8時ころ、ようやくバスが着いた。しかし、双葉病院を出発してから12時間以上もたっており、患者はぐったりとして、中には逆さ状態になって座席に横たわる人すらいた。付き添いの県職員に聞くと、大熊町の北にある南相馬市の県相双保健福祉事務所でスクリーニングを受け、大きく迂回してたどりついたのだという。

 着いた時点でドーヴィルの入所者は98人、双葉病院の患者30人。杉山医師によると、4人が南相馬の病院に入院した。バスは死臭がたちこめ、ドーヴィルの入所者2人、双葉病院の患者1人がすでに死亡。その後、双葉病院の患者2人が息を引き取るのを確認した。

 午後9時半から11時にかけ、患者らを体育館に運び入れる作業をしていたときのことだ。杉山医師は、自衛隊員から「メルトダウンだ。すぐ建物の中に入れ」といわれ、一時作業を中断したという。

 その後、南会津病院のスタッフが来て、15日には第二次避難をしてきいた人々を福島、会津の病院に搬送した。

 ーー以上が、双葉病院の関係者が証言する避難の実態である。

 この間の事情を裏付ける携帯メールのやりとりの記録を、横田桂一次長が見せてくれた。これは、鈴木院長らと居残って行動をともにしたドーヴィルの総務課長(ケアマネージャー)佐藤氏と、いわき側にいた横田氏の交信記録である。なお、「開成」は、いわきにある系列病院を指す。

 3月15日0:53  佐藤から横田へ
            「理事長、松野先生無事」(注 鈴木院長と、もう一人の医師のこと) 

       0:59  横田から佐藤へ
            「今、いわき光洋高校で今日搬送した、双葉とドーヴィルの患者さんを寝かしています。手違い            で医大とかは、今では今日になります。無事でなにより、お疲れ様でした」
            (注 福島県立医大などに搬送の予定だったが、15日に延期になったことを指す)


       1:05  佐藤から横田へ
            「職場関係は横田事務長だけですか。患者、利用者はみな、開成ですか」
   
       1:13  横田から佐藤へ
            「杉山先生、石井先生、鴨川、開成蛭田課長です。今日の人は全員ここです。他の職員は開成            病院にいます」(注 医師ら5人が光洋高校にいたことを示す)

       1:14  佐藤から横田へ
            「寝たきりもですか」(注 これは、寝たきりの人も、体育館にいるのか、の意味と思われる)

       1:16  横田から佐藤へ
            「そうです。県の対応のまずさです」
  
       1:19  佐藤から横田へ
            「最初に避難した元気な患者さんも開成ですか」(注 1次避難者を指す)

       1:21  佐藤から横田へ
            「原町に行ったあと開成に行ったのですか。よろしくお願いします」

       1:23  横田から佐藤へ
            「双葉の最初の組は田村市経由で開成です。バッテリーがないので、明るくなったら連絡しま             す」

       1:28  佐藤から横田へ
            「前日の歩行患者さんも開成ですか。今日の最初の重症者が開成ですか。なんとかバッテリー            が確保されたらまた連絡できます。警察車両内にカンヅメです」

       このあともまだメールのやりとりが続くが、以下の交信が重要だ。

       1:46  佐藤から横田へ
            「施設の98名は14日に避難しました。双葉病院は13日に先に避難した組もあり、その人達が            開成ってことですか。双葉病院東1の重症者は施設のあと14日に避難しました。タイミング悪く            搬送作業中、3号機爆発で搬送中断。警察が理事長、松野先生、出勤してきたじんぼ先生、私            をのせて川内入り口で待機中、」

       ここでメール交信はいったん途切れている。重要なことは、このメールが3月15日午前1時過ぎ、3号機       で水素爆発が起きたために、搬送作業を中断し、警察の指示で鈴木院長と2人の医師、佐藤氏を乗せ       て川内村入り口で待機していた事実を裏書きしている点だ。

       佐藤氏と横田氏の交信記録は、これまでの病院関係者の証言が、おおむね正しいことを傍証している。

 まだ私は、警察、自衛隊、県の関係者に取材しておらず、予断は持ちたくない。しかし、これまでの病院関係者の証言から、少なくとも次のことはいえると思う。 


  1 報道は、1次避難の時に立ち会った病院関係者が、その後持ち場を離れたというが、これは誤りだ。鈴木院長らは、2次避難に立ち会っただけでなく、その後も避難を続行しようと努力した。

  2 2次避難に病院関係者は同行していなかったが、これは後続車があると思ったからであり、12時間以上もかかった避難経過について、承知はしていなかった。

  3 いわき光洋高校に医師がいなかったというのは誤りであり、待機していた。病院側は、高校では無理と警告していたが、なんらかの手違いで高校に搬送された。


 3月16日付福島民報によれば、住民が別の自治体に避難する場合、原則として、
  住民を一斉に運ぶバスなどの手配   居住する市町村
  避難所の指定               県災害対策本部が調整
  避難が難しい場合             市町村や県に連絡すれば、行政、消防、警察など関係機関が連携

 という構図になっている、という。

 私は、一方的に病院側を擁護する者ではない。しかし、明らかに、当初の県災害対策本部の発表には誤りがあったと思うし、それを踏まえた報道も間違っていたと思う。今からでも遅くはない。病院側の関係者の名誉のことばかりでなく、過酷な避難行のなかで亡くなった方々のために、事実は改めて検証されるべきだと思う。


 写真は横田桂一次長(右)と、双葉病院の宍戸孝悦総括課長




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