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help RSS  検証・双葉病院 その2

<<   作成日時 : 2011/07/17 17:46   >>

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 2011年7月17日(日)記

 双葉病院の鈴木市郎院長に、いわき市内の関連病院でお目にかかった。以下、院長の証言をそのままご紹介したい。

 双葉病院は、特定医療法人「博文会」が経営する病院で、認知症、痴呆、寝たきりのお年寄り患者340人(定員350床)が入院する精神科専門の病院だった。
 医師は院長を含め8人。看護師は100数十人が働いていた。

 双葉病院には、介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」(以下、ドーヴィルと表記)が隣接しており、こちらは99人が入所していた。双葉病院の医師らが、ドーヴィルの入所者を診断し、医療の必要があれば、双葉病院に移るなど、両者は提携関係にあった。ほかにグループ・ホームも運営し、こちらは27人が利用していた。

 3月11日の震災当日、医師は、午後から仙台に出張した医師を除く7人の医師、64人の看護師、31人の看護補助員が勤務していた。ドーヴィルでは看護師7人、介護士32人が働いていた。

 JR常磐線と海岸の間に位置する施設は、震災で電気、ガス、水道が使えなくなり、屋上の貯水タンクからつながる配管が断裂し、床が水浸しになった。全館暖房のお湯が流れ、くるぶしまでお湯がたまっていたという。
 固定電話は夕方まで使えたが、夜間は公衆電話のみが使える状態だった。携帯電話も、ソフトバンクは使えたが、夜になるとそれも不通になった。

 11日は事務職員、パート職員を帰したが、大半の医師、看護師は残った。電気暖房は使えなくなったため、各病棟にダルマ式のストーブを置いて暖をとった。

 患者の20〜30人が受けていた24時間の点滴装置、痰の吸入器、心電図モニターなどは、停電のために使えなくなった。院長らは患者を一か所に集め、ペンライトをあてながら点滴や痰吸入などを続けた。
 給食用の米はまだ炊いておらず、買い溜めてあった一週間分のおやつを配って飢えをしのいだ。

 12日の夜明け、「大熊町は全員避難しますので、最寄りの集会所に集まってください。私有車は使わないでください」と放送があった。
 双葉病院の統括課長、宍戸孝悦統括課長は、午前中、大熊町災害対策本部に行き、「病院にある車両だけでは自力避難は無理です。バスを回してください」とお願いした。午前9時から10時にかけて、役場には人が列をつくり、バスに乗り始めているのが見えた。

 災害対策本部で「バスが足りない」といわれた宍戸さんは、病院に戻ったが、ライフラインも途絶え、食料もない。ほぼ1時間おきに3度ほど、災害対策本部に行って「次のバスは双葉に回してほしい」と訴えた。

 正午前、双葉病院にバス5台が来た。県外の観光バスだった。

 このバスに、双葉の病院車6台を連ね、自力で動ける患者、指示で動ける患者さんを優先に避難させることにした。6病棟で主任医師らがトリアージをし、患者を選んだ。車列には、医師3人が同行し、看護部長が手配して各バスに5人ずつが乗り、オムツや当座の薬、飲料水などを載せて出発した。全員が乗車し終わったのが午後2時ころ。
 バスの運転手は「常磐中学校に向かう」といっていたが、そこはすでに満員で、午後7時近く、三春町の要田中学校の体育館に着いた。三春町では、毛布や炊き出しのお握りを配り、町役場職員が24時間体制で支援するなどしてくれた。

 この「第一次避難」で、患者209人、職員60数人が病院を出た。残るは重い症状の患者131人と、ドーヴィルの入所者である。

 宿直明けで自宅に帰った医師もいたため、12日に残った関係者は鈴木院長、ドーヴィル担当の医師、ドーヴィルのケアマネージャー(総務課長)の3人とわずかの職員だった。鈴木院長は、後続のバスが来ないため、残り2人と交代で車で、消防や警察の車を探しに出かけた。

 午後3時36分、車で川内方面に向かう途中、院長はドーンという音を聞いた。第1号機の建屋が爆発した瞬間だ。病院に戻った院長は、2人を双葉町に向かわせた。2人は双葉町の病院で救出していた自衛隊を見かけ、双葉病院への救援をお願いした。しかし、「受け持ちの隊が違う。そちらに担当を差し向ける」といわれ、再び双葉病院に戻った。

 午後9時ころ、双葉病院に自衛官1人、警察官1人がやってきた。
 「救援してほしい」
 「今日は無理だ」
 そうしたやりとりの後、自衛官らは、「明日の朝迎えにくる。午前中にドーヴィル、午後は双葉病院の患者を搬送する」といって帰った。

 その夜は、ローソクを確保しながら、点滴や痰の吸入などの措置を続けた。

 13日朝になっても、救援は来なかった。病院とドーヴィル間の200メートルの距離を行ったり来たりしながら、3人は待ち続け、交代で富岡町や川内村方面に足を伸ばして自衛隊や警察の車両を探した。

 鈴木院長は午前11時ころ、広域消防の赤いセダン車を見かけ、「双葉病院の者ですが、消防に救援を要請してほしい」と伝えた。
 
 それでも救援は来なかった。午後2時まで待ったが、待ちきれず、院長が再び外に出た。パトカーとすれ違って下りようとすると、中にいた防護マスクをつけた警官が、「出るな!」「中に入って窓を閉めて」と叫んだ。院長は、「双葉病院の院長だ。まだ救援が来ない。早くしないと患者さんが死ぬ。早く来てほしい」と頼んだ。

 午後5時前、暗がりのなかを、双葉署の署長を乗せたパトカーがやってきた。
 無線で応援を要請するが、通じない。
 「院長、今日は無理だ」
 「点滴で生きている人が死んでしまう。120人が死んだら、あんたも俺も新聞に出るんだぞ」
 「わかっています」
 そんなやり取りがあった。
 そのうち、パトカー6、7台も病院に集まってきた。
 署長は別の検問に出かけねばならず、「別の人を回す。事情はすべて話しておくからよろしく」といって去った。
 すぐに別の警察官が来たが、救援の段取りがつかず、院長らは事務室、警官はパトカーやワゴン車の中で一夜を過ごした。

 14日午前6時前、「これから迎えに行くので準備するように」との連絡が入った。警察官は、「患者にも防護服を着せる必要がある」といって、持参した防護服を着せる作業に入った。警察官は10〜20数人、病院側は院長ら3人に、新たに出勤してきた医師1人が加わった。院長らも防護服を着て、互いに識別できるよう、白い服にマジックで名前を書いた。
 院長らは、オムツを換え、患者らの点滴を外す作業を始めた。

 そのうち、自衛隊がやってきて、「防護服は必要ない」といった。まず警察がストレッチャーに患者を載せて出口まで搬送し、そこから自衛隊がバスに乗せるという分業体制で、避難を始めた。ここでドーヴィルの入所者99人全員と、双葉病院の患者131人のうち、38人がバスに乗った。
 車はマイクロバスなど8台で、満員になり次第、病院を出発した。これが「第二次避難」である。

 この時点で、末期肺がん患者ら3人が亡くなっていた。一緒にいた警察から、遺体を運びに来られないかもしれないので、患者の名前を書いてベッドに置くか、ポケットに入れてほしい、といわれた。

 最後のバスは午前10時には出発したが、後続は来なかった。自衛隊は隊長と、警察官約10人が残っていた。
残る患者は約90人。

 バスを待つうちに、午前11時過ぎ、ボンという音がした。もっとも院長はその音を聞いていない。後でわかったところ、第一原発3号機が水素爆発を起こしたのだった。

 自衛隊の隊長は、「オフサイトセンター(現地対策本部)に戻って指示を仰がねばならない」といって病院を出たが、
その後連絡が取れなくなった。

 14日夜になっても、後続の救援はなかった。警察官は10人がワゴン車2台に分乗して待機した。

 その夜10時、副署長から、「院長、緊急避難だ。すぐ車に乗れ」といわれ、院長らは警察の2台のワゴン車に分乗して病院を出た。警察は何もいわず、サイレンを鳴らしたまま、無言で川内村方面に向かった。福島第一原発から20キロぎりぎりの地点に退避した。一行は、いったん緊急避難が解除されたため、再び大熊町に戻りかけたが、途中でまた緊急避難の指示が出て、引き返した。

 
 15日午前5時ころ、院長は副署長から、「今自衛隊が郡山を出るから、ここで合流する」といわれた。しかし、午前10時になっても自衛隊は来なかった。副署長から、「自衛隊には病院のことは伝えてある。ここは自衛隊に任せるしかない」といわれ、鈴木院長はやむなく、関連病院のある、いわき市の病院に向かった。

 それでは、「第二次避難」をした人々はどうなったのか。ここからは、いわきで待機していた杉山健志医師の証言に移る。

 写真は鈴木市郎院長(右)と、杉山健志医師

 
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