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help RSS  検証・双葉病院 その1

<<   作成日時 : 2011/07/17 15:53   >>

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 2011年7月17日(日)記

 以前、福島県大熊町にある双葉病院について、触れたことがある。

 東日本大震災から6日後の3月17日、福島県災害対策本部は、双葉病院から、いわき光洋高校に運ばれた患者ら128人のうち、高齢の重症患者ら14人が死亡した、と発表した。救出に向かった自衛隊が病院に行くと、医師や看護師ら病院関係者はいなかった。同本部は、「(病院が)患者を見捨てたととられても仕方がない」と指摘し、事実関係の調査を始めた。

 以上は、発表をもとに、福島民友が18日付朝刊一面トップで報じた記事の前文の内容である。

 被災地でそのニュースをラジオで聞いたときに、「ひどいことをする病院もあるものだ」と思った記憶がある。

 だがその後、一部メディアが、「放置したのではない」という病院関係者の主張を伝えただけで、毎日新聞以外、続報は目にしなかった。

 読売新聞の元編集委員でジャーナリストの勝方信一さんが、6月3日のサイト「あらたにす」で、直接取材した院長の証言を詳しくご紹介した。その要録をもとに、このブログでも、「被災地からの視点での検証が必要」と書いた。

 今回、病院関係者に会って詳しい内容を取材したので、その結果をご報告したいと思う。もちろん、取材は緒についたばかりで、真相究明には至っていないが、多くの内容でマスコミ発表とは食い違っていた。この問題は、避難当時の混乱のさなか、政府と自治体、自衛隊、警察の連携がどうであったのかを知るうえで、とても重要な問題を含んでいると思う。引き続き、取材を進めたい。

 まず、当時のマスコミ報道を、ざっと振り返ってみたい。
 
 3月17日、県災害対策本部は、双葉病院から、いわき光洋高校に運ばれた患者ら128人のうち、14人が死亡した、と発表した。前述の通りである。亡くなったのは男性6人、女性8人。同校への移動中に2人、到着後に12人が亡くなった。
 18日付け福島民友の前記記事によると、経過は以下のようだった。

 1 官邸危機管理センターは14日未明、県災害対策本部、大熊町に避難を連絡
 2 県災害対策本部は自衛隊に救出派遣を要請
 3 病院は自力で患者を避難させることができず、大勢の患者が病院にとどまっていたとの見方が強い
 4 自衛隊が病院に到着した当時、症状の重い患者ら128人が取り残されていた
 5 自衛隊は病院関係者の姿がないため患者の症状が分からないまま救出
 6 患者は南相馬市の県相双保健福祉事務所でスクリーニング検査を受けたあと、14〜15日未明に、いわき光洋高校に運ばれた
 7 患者が運ばれてきた時点で、高校には医師や看護師は配置されていなかった。同校は15日に県に連絡し、
医師、看護師、救援物資の供給を要請、同日中に到着した。
 8 同校に避難した人のうち、症状の重い人は会津若松市の病院など数か所に運ばれた


 18日付福島民報によると、経過は少し違う

 1 「双葉病院」と介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」の患者ら21人が、バスで移動中や避難先で死亡していたことがわかった
 2 県によると、いわき光洋高校〜伊達ふれあいセンター〜福島市のあづま総合運動公園の避難所に搬送。
 3 光洋高に向かう途中で2人、同校体育館で12人、伊達ふれあいセンターで2人、あづまの避難所で5人死亡
 4 患者は計3回搬送し、1回目は病院関係者が立ち会った。2、3回目の搬送の際、病院関係者は誰もいなかったという
 5 一方、病院関係者によると、一回目の搬送の際は立ち会った。その後、車両を待っているうちに福島第一原発で爆発事故があり、、居合わせた警察官の指導で川内村に避難し、戻れなくなった。結果的に患者が病院に残されたという

 一読してわかるように、民報の記事の方がより詳しい。搬送が3回にわたっていたこと、一回目の搬送に病院関係者が立ち会っていたが、その後病院を離れた、などの点だ。


 これを受けるかのように民友は、翌19日に、「死亡21人に増える」という続報を載せた。

 1 県災害対策本部は18日までに、同病院から別の避難所に運ばれた7人も死亡していたと発表。死亡した患者は計21人に上った
 2 同本部によると、患者は14日から15日にかけて自衛隊が3回に分けて救出。最初の救出では64人をいわき光洋高に、2回目は47人を伊達ふれあいセンターに、3回目は35人をあづま総合運動公園の日赤救護所に移送した。同センターでは2人、同救護所では5人の患者が死亡した。
 3 同本部によると、自衛隊が最初に同病院に到着した際には、院内に院長ら職員が数人いたが、救出の途中で患者を残し全員が病院を離れたという。
 4 院長は、2度目の救出が始まる前に川内村に移動、自衛隊の救出を待ったが、15日朝に第一原発で爆発があり病院に戻ることを断念したという
 5 県は救出中に病院関係者がいなくなったことについて、「患者の病状を確認できなくなるため医師は最後までいるべき」とし、事実解明を進めるとしている

 ここにきて、事実関係についての報道の足並みは、一応、そろったかに見える。

 煩わしさをいとわずに要約すると、以下のようになる。

 1 県災害対策本部によると、自衛隊は14日から15日にかけ、3回に分けて患者を搬送した。
 2 自衛隊が最初に到着した際には院長らがいたが、救出の途中で患者を残し、全員が病院を離れた
 3 院長は、2度目の救出が始まる前に川内村に移動、自衛隊の救出を待ったが、15日朝に第一原発で爆発があり病院に戻ることを断念したという

 しかし、大筋ではこのようであっても、病院関係者が語る事実経過は、こうした報道とはかなり食い違っている。

 ここで、鈴木市郎病院長らに、語っていただこうと思う。

 写真は鈴木市郎・双葉病院院長


 


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とても参考になりました。ありがとうございます。
高橋克彦
2012/05/22 09:33

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