外岡秀俊 3.11後の世界

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help RSS 冠水続く石巻の沿岸

<<   作成日時 : 2011/05/03 13:14   >>

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2011年5月3日(火)記

5月1日、仙台駅前のさくら野デパート前バス停から、石巻行きの高速バスに乗った。
石巻行きバスは、ほぼ1時間に1本。ほかに公共交通機関がないため、
ほぼ満席だった。
帰りのバスもそうだったが、車内はずっと寂として声なく、静まり返っている。
無理もない。今回、ボランティアの多くは大型バスで団体行動をとっていることが多く、こうして路線バスに乗っているのは、ほとんどが、被災した市民のお身内か、連休中に帰省する方々なのだから。

石巻駅から、タクシーで内海橋を通り、東に向かう。前回3月24日に訪れたときは、がれきの山に阻まれて、内海橋から先へは進めなかった。駅前商店街は、ようやくがれきが片付き始めたが、東部はほとんど手がついていない。

知人を介してご紹介いただいた垂水町の医師久門俊勝さん(61)をお訪ねした。

3月11日、震災で鉄筋2階建ての医院は、バキバキ音を立てながら揺れた。2階の倉庫の書類は散乱したが、
1階の診察室、薬品庫などは無事だった。だが、洗面器の水があふれるほどの揺れが続いた。

防災サイレンが鳴り、大津波警報が流れた。

奥の診療室にいたので、待合室の人数はつかめなかったが、たぶん患者さんは5〜10人ほどだったろう。
薬が切れたので、どうしても今日、処方してほしいという患者さんが二人いた。焦る心でその処方箋を書き、
会計が済んだのが午後3時10分。すぐに、職員2人と薬剤師を帰した。

医院は海岸から遠い。沿岸に近い渡波(わたのは)で生まれ育った久門さんは、実家でも津波を経験したことはなかった。だが、水は静かにやってきた。潮が満ちるように、水面が徐々に上がり、玄関から浸水し、1階の床上10〜15センチまでせり上がった。午後3時47分、電気が切れ、固定電話、携帯、インターホンが途絶えた。水道もとまった。

1960年のチリ地震津波では、万石浦まで浸水があったが、今回はその倍の距離を駆け上がり、石巻線の跨線橋を乗り越えて、ちょうど久門さんのいる病院まで来て、ようやく止まった。

何が幸いするのか分からない。遅れて病院を出たため、行方を案じていた二人の職員と薬剤師は、車の渋滞に巻き込まれた。職員の1人は南浜町、薬剤師は鹿妻(かずま)に住んでいた。いずれも被害の大きかった地域だ。早く帰っていれば、津波に流されていたかもしれない。最後に処方箋を書いた患者さんのお一人は、自宅で津波に『巻き込まれ、せっかく受け取った一ヵ月分の薬を流されてしまった。

翌日から床の泥土を掻きだしたが、4〜5日は周囲の水が引かず、道路を歩けるようになったのは、一週間以上たってからだった。幸い、薬品会社などから、物資が届けられ、最低限の暮らしはできた。仏壇用の買い置きのロウソクもあったので、夜はその灯りが頼りだった。だが、夜は寒いので6時ころには寝床に入り、明け方に目覚めるという日々だった。

奥さんの実家などにようやく連絡がついたのは、震災から一週間後の18日。知り合いに頼んで前日に携帯の充電を頼み、この日、知人の車で山を越え、ようやく携帯が繋がった。
この日、久門さんは避難所の万国浦小学校に診療に出かけ、そこで震災後初めて、「河北新報」と「石巻かほく」の号外を見た。停電でテレビは映らず、新聞も宅配されない。頼りの情報は携帯ラジオだけだったが、自分の住む石巻がどこで、どんな被害を受けたのか、わからない日々だった。号外写真で初めて、被害の大きさを知ったのだった。

 幸い、建物そのものは無事だった。だが3台の車のうち2台は使えなくなった。22日からは診療を再開したが、内海橋から東部で開業する医院や診療所のうち、再開し始めているのは、投薬を始めた内科医院と、後片付けを始めた整形科の医院くらいで、残る三医療機関の見通しは立っていないようだ。


電気は3月25日に復旧したが、4月7日の余震で再び止まり、また数日の休診を余儀なくされた。
震災当時は、心筋梗塞などの急性疾患が問題だったが、最近では喘息など呼吸器系の患者さんが増えているとも聞いた。津波で流されたがれきや土砂が、乾燥して細かな粉塵になって大気中を漂っている。古い建材にはアスベストも混じっているに違いない、と久門さんは警戒する。

久門さんの車に乗せていただいて、沿岸に近い渡波地区に向かった。いたるところで道路が冠水し、家屋が水につかっている。地震で地盤が約70センチ陥没沈降し、満潮時には冠水するのだという。よく見ると、土嚢を積んで浸水から護っている家屋が多い。

沿岸部では、見渡す限り多くの家々が破壊され、がれきの山ができている。堤防の一部が決壊し、津波が直撃したのだった。その堤防も、まだ補修はされておらず、すぐ向こうに白い波頭をあげる黒い海が見える。海鳥が群れ飛び、時々聞こえる音といえば、むき出しのトタン屋根の破片が、風にあおられて別の金属の棒にぶつかって立てるカンカンという物音だけだ。いのちの消えた光景。光も、色彩も、音もない世界は、今も戦慄している。




写真は上から

1 満潮時には冠水が続く渡波地区
2 沿岸部は津波に直撃された
3 堤防の一部が決壊し、今も補修されていない
4 鹿妻地区の田んぼには、押し流された車がそのままだ


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