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help RSS 富岡町の場合  その2

<<   作成日時 : 2011/05/24 22:30   >>

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 2011年5月24日(火)記

 福島第二原発のすぐ近くにある富岡町で、昨年3月まで防災担当の生活環境課長だった、白土正一さんの話を続けたい。

 今回の震災について白土さんは、「津波が想定外だった」というより、原発事故に対する「すべての想定が甘かった」と感じている。

 その象徴が、原発事故の際に、国、県、市町村など関係機関が一同に会して情報を共有する「緊急事態応急対策拠点施設」、通称「オフサイトセンター」だ。

 災害時には、国、地方自治体、放射線医学総合研究所、日本原子力研究開発機構などの関係機関が集まり、ここで原発の状況や、モニタリング、医療情報、住民の避難状況などをつかみ、危機対応にあたる。いわば、現地の司令塔だ。JCO臨界事故を受け、全国に22カ所設置されており、今回の震災でも、当然その機能を期待された。

 福島の場合、オフサイトセンターは第一原発から約5キロ、第二原発からは約12キロ離れた大熊町の県立病院脇に建てられ、今回の震災の直後に、経産省の原子力安全・保安院がオフサイトセンターに現地災害対策本部を設置した。

 しかし、停電が起き、電源車を使っての復旧を試みたが、電気系統はダウンした。衛星回線による被害の情報収集はできたが、県災害対策本部と結ぶテレビ会議や市町村への情報提供などはまったくできなかった。このため保安院は16日になって、対策本部を県庁本庁舎に移し、そこから情報収集と防災指揮をとることになった。

 「そもそも、原発から5キロの位置にオフサイトセンターを作ったことが、いかがなものか。原発事故は起きない、という前提に立って、甘い想定をしていたのではないか」

 福島では2000年から毎年防災訓練をしてきたが、参加者はマニュアルを読みながら訓練をするのが常だった。
「マニュアルなしで訓練をしては」と白土さんが提案したこともあったが、聞き入れてはもらえなかった。

 第二は、漏れた放射性物質の量を地図に表示する「SPEEDI(スピーディ)」を公開しなかったことだ。

 このシステムは「緊急時迅速放射能影響予測」。放射性物質の広がりを予測することで、住民が避難した方がいいのかどうか、判断する場合の参考になる。
 
 原子力安全技術センターが、放射性物質の種類や量、放出される高さ、地形などを元に、最新の風向きや風速のデータを加えて計算し、それぞれの地点で被曝する量を予測する。85年から使われ、年間7億8千万円をかけて運営してきた。

 ところが今回、最初に公表されたのが、3月23日。次は4月11日。原子力安全委員会は4月25日になってようやく、放射性物質の1時間ごとの拡散予測を以後は公表することにした。
 国は予測データの非公開について、「計算のための情報が足りず、精度が不十分」としていたが、「不十分でもデータは公表すべきだ」という専門家の批判を浴びていた。

 実際、飯舘村など、半径30キロ圏外で「計画的避難区域」が設定されたのは4月22日。20キロ、30キロ圏内でも、放射性物質の汚染度には大きなばらつきがあった。

 「公表によるパニックを恐れたという意見もあるが、風向きによって汚染度を予測し、それにそった避難誘導もできたはず。2カ月以上たってから、汚染度が高いので避難しろというのはあんまりでは」

 白土氏は、3月15、16日の避難時、ともに行動した富岡町の広域消防長の言葉が忘れられない。同心円状に半径距離で、汚染の危険性を区分けする政府の方針に対し、その消防長は、こういったという。

 「これでいいんですかね。等高線のように詳しく汚染地域を予測して、危ない地域から優先的に避難させるべきではありませんか」

 精度が不十分といっても、その予測値は、避難誘導の目安にはなっただろう。

 「福島第一の地元双葉、大熊町、第二の地元富岡、楢葉町では順番に、4年に1度、住民避難訓練をしてきました。でも、参加するのは約200人で、支援者が2、3人。全住民避難など、やったことはない。今回、富岡町から川内に避難した人たちは、いつもは30分で行けるところを、3、4時間、長い人で6時間もかけて避難した。情報がまったくないから、かえって混乱が拡大したのではないか」

 南相馬市でも、何度か、市独自の原発防災計画を立てようとしたが、「そんな必要はありません」と、国からいわれ、立案しなかったという話を聞いた。
 防災計画がないから、そもそも、避難計画もなかった。そんな中で「自主避難」を要請されれば、混乱するのも当然だった。
 私が、「前の戦争のときにも、軍は負けた場合を想定せず、現場は玉砕を選ぶしかなかった。同じことを繰り返しているのかもしれませんね」というと、白土さんは、ダンボールで仕切った避難所の「自宅」奥に積んだ資料を探し、
私に見せた。
 
 「いま、これを読んでいたところです」

 旧軍の失敗の理由を論じた文庫本だった。

 この日、降矢通敦さんは、車で市内を走り、薫小学校までご案内してくださった。屋外の土の放射線量が毎時4・5マイクロシーベルトあり、土を掘り削ったが、その土を持っていこうとしてゴミ処理場の住民から拒否され、今もブルーシートをかけて保管したままになっている。

 国際放射線防護委員会(ICRP)は、平時の一般人の放射線限度を年間1ミリシーベルトとしている。ただし、緊急時には20ミリ〜100ミリシーベルトの範囲で対策をとるよう勧告しており、政府はその下限の20ミリシーベルトを避難の基準とした。これを逆算すると、平均値は毎時3・8マイクロシーベルト。薫小学校の土は、その限度を越えたために問題になった。

 しかし、「計画的避難区域」の設定基準が、「年間の累積放射線量20ミリシーベルトを越えそうな地域」だった。全村避難を要請するのと同じレベルまで、子どもたちを危ない場所に放置しておいていいのか。そもそも、
校庭での許容基準が甘すぎるのではないか。そうした声が、市民の間に急速に広がっている、と降矢さんはいう。

 
 現に、23日には、福島県から保護者ら500人が上京して文部科学省を訪れ、「20ミリシーベルト撤回!」などの横断幕を掲げた。

 「年間1ミリシーベルトに基準値を設定すべきだという声もあります。そうなると、膨大な数の子どもたちが、郡山から避難しなくてはいけないことになる。ただ、それは無理でも、20ミリシーベルトから、限りなく1ミリシーベルトに近づけるべきだ、という思いは市民に共通していると思います」

 原発震災は、今も続いていることを、実感する。




 写真は、白土さんが避難するビッグパレットふくしま


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