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help RSS 緊急時避難準備区域 南相馬の現実 その5

<<   作成日時 : 2011/05/22 20:33   >>

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 2011年5月22日(日)記

 いざというときに、自力で避難できるよう、お年寄りや子供、入院患者は地域にいてはならない。
ただし、自力で避難できる人が業務を続けるのはかまわない。

 これが、原発から半径20〜30キロ圏内に政府が設定した「緊急時避難準備区域」であることは、いくどかふれた。

 病院の実態はどうなっているのだろう。原町区高見町にある南相馬市立総合病院を訪ねた。

 驚いたことに、正面玄関は閉まり、外来患者は通用口から出入りするようになっていた。一階入り口には
職員が座り、出入りをチェックしている。

 小澤政光事務部長にお目にかかる。うかがった経過は以下のようなものだ。

 市町合併の効果で、震災前に南相馬市には、二つの市立病院があった。小高にある市民病院は病床数99床。
6割がお年寄りで、3人の医師が常駐していたが、療養病院に近く、経営が悪化していた。

 原発から半径20キロ圏内にあるその市立小高病院に12日、避難指示が出され、市立総合病院はその受け入れ態勢に入った。

 市立総合病院は230床。16診療科を16人の常駐医師、約200人の看護師で支える中核病院である。

 11日は、けが人や避難者が病院に殺到し、通路にまで人があふれ、野戦病院のようになった。津波による患者を約30人受け入れた。それまでの入院患者数は定かではないが、小高病院からの搬送に備えて自主退院などを促して患者数を12日には計149人まで減らし、13日には小高から68人の患者を受け入れた。

 しかし、15日には屋内退避の指示があり、半径20〜30キロ圏内にある市立総合病院も、県内外へ患者を搬送する必要が出てきた。

 小澤事務部長によると、文書ではないが厚労省から県に指示があったのだという。救急車やバスなどで17日から続々と転院し、20日に入院患者はゼロになった。

 市立小高病院の医師3人は、病院再開のめどがたたず、退職した。市立総合病院でも、8人の医師が辞職して田病院に移り、4人だけが残った。看護師50人も残ったが、その後は交代で避難所の維持などの仕事についている。

 市立総合病院では4月2日から、外科と内科の外来を受け付けている。一日の外来は100人前後だという。

 半径30キロ圏外には鹿島厚生病院があるが、医師は4人。大きな被害を受けた相馬市の病院も、受け入れ能力があるかどうかわからない。結局、救急患者や入院患者は、仙台か福島を頼るしかないが、前者も被災し、後者は山道をたどらねばならない。

 市立総合病院が正面玄関を閉ざしているのは、「いざというときに、自力避難しやすいように準備をしている」ためだという。

 それは、「お年寄りや子供、入院患者ら、自力で避難が困難な人々はできるだけ入らないようにする」という政府方針の正確な反映でもあろう。

 しかし、約4万人の人々が暮らしている町で、中核病院が機能しなければ、いったい何が起きるのか。しかも、病院施設は、現に使える状態だ。いずれ再開できるという見通しがあれば、医師も辞めずにすんだかもしれない。

 「安全」という建前に固執し、その地方に住む人々の暮らしを支える視点を欠いたまま、いつ終わるかもしれない「緊急時避難準備区域」を続けることは、「自己責任」の名のもとに、住民に負担を強いることを意味するのではないだろうか。


 病院からの帰途、近くにある福島県相双保健福祉事務所で行われているスクリーニングを取材した。
 
氏名、市町村名、性別、生年月日を書き込むと、放射線の線量をはかって、「基準値(100kcpm)超過」か、
「基準値(100kcpm)未満」のいずれかに、丸をつけてもらえる。cpmは「カウンツ・パー・ミニッツ」で、一定の係数をかけると、一時間あたりの放射線量の概数がつかめる。

 このスクリーニングを、これまでに延べ3万人が受けたという。

 なぜ、それほどの人々が、競って検査を受けたのか。住民によると、それは、気がかりというよりは、必要に迫られてのことだった。
 
 はじめのころは、転院や転所、避難先で、放射能に汚染されていないかどうか、証明を求められた。県外はともかく、同じ福島県内の病院でも、この「表面汚染検査結果表」がないと、診断を断られることすらあった、という。

 そのため、昼間はもちろん、夜間まで、避難する人々が長い時間をかけてこの検査場まで出向き、スクリーニングを受けなければならなかった、という。

 搬送中や、搬送後に患者が亡くなったことで問題になった大熊町の双葉病院と関連老健施設の患者・入所者も、この検査の列に加わった。その後、一行が向かったのは、大熊町から見て、南相馬市の反対側にあるいわき市の高校に設けられた医師の常駐していない避難所だった。
 いったい何が起きたのか、いずれ解明しなくてはいけない問題だ。

 ある住民は、「表面汚染検査結果表」の紙切れを指して、冗談半分に、「まあ、シンドラーのリストみたいなもんだったかな」とつぶやいた。

 冗談にせよ、21世紀のこの国で、その言葉が出たことに、ぎくりとした。




 写真は上から

1 市立総合病院の正面玄関

2 今も続くスクリーニング


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